4.名古屋から空の旅が始まった。 | ||||
出発間際、隣の席に同世代の女性が乗り込んできた。飛び始めて二時間ほど経つと、いつの間にかその婦人と話が盛り上がっていた。僕は、大阪に住み写真の仕事をしていることとか、これから北極圏の小さな小さな集落“フォート・グッド・ホープ”へ行くことなど。彼女は、「まぁ、そんなところに人が住んでいるの?」と驚いた様子。そしてアメリカのボストンから日本の宮崎に里帰りするとの話!?をしてくれた。ちょっと待った!「この飛行機は日本から北米へ向かっているのに」と聞き直した。 宮崎にいる80代の母親の具合が悪く、面倒を見るために日本に帰ったのだが、ボストンでの住宅の賃貸契約を破棄し家財道具一式を知人の倉庫に置いて貰っていたのが、その友人が事故でなくなったので、荷物を処分しに行かなくてはならない為に、もう一度ボストンに向かっているとのことだった。
緑が少なく空気も汚く、人が多いのに驚いたのだが、街が近代的になり、大都市なのに人々が優しいのにはビックリしたそうだ。 それにしても35年間という時間経過、ほとんど日本語を話す環境にないと、ここまで日本語がたどたどしくなるものなのか。ヘアー・インディアンの世界の変貌ぶりが心配になってくる。 バンクーバーで4時間ほどの時間待ちがある。旅行社の幕内さんに言われていたように、リコンファームの手続きをしようとエアー・カナダのカウンターに行くとカナディアン・エアーのカウンターに行くようにとのこと。たらい回しされたけれど、帰り便は、とりあえずリコンファーム成功。全く分からない英語を自分流に解釈すると「国内便に乗る前からリコンファームが出来ないこと。または、国内線にリコンファームなんて無い!?」となった。そこで、そのまま時刻通り搭乗時間が来れば、カウンターに行くこととする。 |
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