アジア見聞録
韓国放浪の旅

新しい街の英語の看板にホットした
新しい街の新しい看板には英語表記が多く見られた。

韓国の街を歩いていると、今の僕にとって判読不可能なハングル文字が溢れている。
2、3日も韓国の街を歩いていると薬屋さん、本屋さん、パン屋さんなど
簡単な単語は判別できるようになるのだが、基本的には何も理解できない。

街の雰囲気も歩いている人も僕が住んでいる日本の街と何にも変わらないのに
文字だけがこんなに違っているなんて不思議で不思議で仕方がなかった。

コミニケーション手段の文字や言葉が同じなら海外旅行がどんなに楽だろうと思う。
しかし、文字や言葉の違が文化の違いを生むのであって、
文字や言葉、文化が同じなら外国旅行をする楽しみは、
景色の違いを楽しむだけの何十分の一になることだろうと思う。

そんなことを思いながら地方の新興住宅街を歩いていると英語の看板が目に入ってきた。
ハングル文字にうんざりしていた僕は、
この店は何の店、これは何の店と文字で理解できるのが嬉しかった。

けれど、4、5軒も歩くと何とも面白くないことに気がついた。
外国を歩いているという実感がしてこないのだ。

ぼくの海外旅行は、文字が読めない、言葉が交わせない、
孤独に気が狂いそうになるなど、未知、無知によるコミニケーションの悪さが
旅を楽しいものしている要素だろうと思った。

そんな訳で「外国の言葉が出来なくても楽しい旅が出来る、
言葉が出来ないからこそ楽しい旅が出来るのかもしれない」
と言うことを新興住宅街を歩いておもった。

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