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タエコ・メッツラー | |||||
恐ろしかったこと!(2) ・・・もうすでに3時間経過していて、 炎症が気管支から肺のほうまで広がっていた。 この3時間でかなり病状が悪化していたのだ。 |
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「あの、ルクの状態はどうなんでしょうか?」と聞いた。すると「まだ治療はなにもしてないんですよ。状態は変わってませんよ」と言う返事が返って来たのには驚いた。 「そら治療を何もせんかったら状態はかわらんやろ、それどころか悪くなるわい」と思ったけど、そんな事を言うとルクがいじめられてもかわいそうなので、思い直して「よろしくお願いします」とだけ言っておいた。 それからの1時間はめちゃくちゃ長く感じた。なんと、退屈な大学教授の講義でもこんなに長く感じたことがなかった。 そうしていると看護婦さんがルクの呼吸が少し安定してきているから集中治療室に入ってもいいですよ、と言ってくれた。 ルクは酸素吸入器と水分補給の為の点滴をしてもらっていて、とても苦しそうだった。私はお医者さんを見るたびに、「ルクは助かるんでしょうか?」と聞いた。でもどのお医者さんもみんな「全力を尽くします」という返事ばかりだ。(そんな事はわかっとるから、一言「助かる」と言ってほしいのに。。)お医者さんに授乳してもいいといわれた。おっぱいをあげるとたんがよけい出てきて、状況が悪化する事もあるのだそうだけれど、あげないと病気と戦うこともできないそうだ。 夜中の3時くらいになった頃、看護婦さんに、「もう呼吸が安定してきているし、明日もありますから、お母さんは小児科病棟で少し休んでください。もしルクちゃんの状態が悪くなったら呼びますから」と言われた。 小児科病棟に行こうとしたけれどもこの病院はとても大きい。迷って何度も同じ所をくるくる回っていた。東京女子医大の小児科病棟は大正時代に建てられたらしくて、とても古いから気味悪い。それに夜中で誰も歩いてない。また治療室にもどったりしているうちにかなり時間をくってしまった。迷うのもそのはず、小児科病棟は1階を3階というのだそうだ。1階の廊下を歩いていて、小児科病棟に入ると急に3階になるのだから、人を迷わす事が目的としか思えない。 やっとベッドに入ったけれど、ルクの事を考えると眠れるわけもない。ただその日は雨が降ってたので運が良かった。私はアメリカの大学でとった日本美術史のクラスで、禅僧は雨の音に心を集中させて瞑想する話しをきいていたので、その事を思い出して雨の音だけに集中していたら、とうとう、うとうと、としはじめたのだ。(ただ単に疲れていたから眠れただけだという意見もあります!)そして気がついたら朝6時半になっていた。 (つづく) |
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