3.時の流れに驚きと期待が。
 出発前日の夕方、飛行機の手配をしていただいた旅行社の幕内さん(ステキな女性)から、「7/1日関空発の飛行機が遅れます。後のスケジュールがタイトなので後続の便に間に合わなくなりました。旅を続行する方法として、日程をずらすか他の飛行機会社の便で行くしかない。」との電話が・・・。ただ、他の飛行機会社の便で行くにしても、どの便も満席なので返答は今しばらく待ってくれとのこと。

 出発直前のトラブルに、今回の旅も何が起こるかわからない、そんな予感が一杯している。すんなりと行けてしまうより、このような経験をして行けたら、何かと自分にとっては経験が増え、視野が広がるのでラッキーだとは思う。そうこうしているうちに、旅行社の幕内さんの手配で名古屋発の飛行機が取れたと連絡が入った。今のチケットをそのままカウンターに示せばいいとのこと、コンピューター社会の便利さをを改めて実感する。

あこがれだった500系のぞみ車両
 それにしても名古屋と言えば、シルクロード行きの時も名古屋だった。僕にとっての冒険旅行は名古屋と縁があるのかも知れない。新大阪駅で名古屋までのチケットを買うと“のぞみ”だった。生まれて初めて乗る“のぞみ”というおまけが付いたようでちょっと得した気分になる。そして、ホームに入ってきたのがフロントノーズのものすごく長い“500系のぞみ”だった。一度見てみたい、乗ってみたいと思っていた“500系のぞみ”に巡り会えたなんて、ものすごく得をした気分に、案外、今回の旅はいいことがいっぱいありそうな、そんな感じがしてきた。

 名古屋空港に着いてまたビックリするようなことが、それはターミナルビルが新しく大きくなっていたことだ。シルクロードを歩いてから、そんなに自分の中では時間が経っていと思っていたのに着実に時間が経っているのを実感した名古屋空港ターミナルビルとのご対面だった。
今回の北極圏“ヘアー・インディアン”とのご対面旅行も、実を言うと10数年前に出会った文化人類学者の原ひろ子氏著の「極北のインディアン」という一冊の本からで、原ひろ子氏の描くインディアンの人たちの想像を絶した生き方、そしてその本に載っているインディアンの人たちのステキな笑顔の写真に圧倒され、ぜひ、彼ら彼女たちに会ってみたい!と思い続けていたのが、やっと実行の運びとなった訳なのだ。

 本に描かれたインディアンの人たちの生活から40年近く、本を手にしてからも10年の年月が経っている。この時間の経過は、あまりにも夢多く期待を持っていくと時代のギャップに失望を受けるかも知れない。また、その時間の経過にどの様な変化があるのかを知るのも楽しみである。と自分に言い聞かせての旅立ちだ。
しかし、名古屋空港の、わずかな時間で、この変化を目の当たりにすると気持ちの中の“ヘアー・インディアン”への夢がしぼんでいくような、そんな予感がしてきた。
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